岡山城は豊臣政権の五大老の一人である宇喜多秀家が築城しました。築城にあたり、秀吉からの助言があった記録があり、豊臣大坂城との共通点が多いです。
しかしながら、関ケ原の戦いで西軍についた秀家が流刑となり、その後に小早川秀秋、池田忠雄による大規模な改修がされているため、秀家が築城した姿は謎が多い状況です。
ここでは、豊臣大坂城との共通点と、現在わかっている宇喜多秀家が築城した岡山城について見ていきたいと思います。
豊臣大坂城との共通点
共通点① 黒下見板張りの外壁
岡山城天守は外観五層・内部六階の望楼型で天守の高さ20.45mです。豊臣大坂城の天守は外観六層、地下2階の八階の望楼型の天守で高さは約39mで、岡山城の方が少し小さいサイズです。
岡山城の外壁は、豊臣大坂城と同様に黒漆塗下見板の外壁で、豊臣秀吉の重臣に相応しい格調高い天守でした。
なお、天守台は不等辺五角形となっており、石垣の角度が90度以上の鈍角で積まれている鎬積みとなっています。
こちらは豊臣大坂城よりも、天守台が八角形だった安土城との類似性が指摘されています。


共通点② 金箔瓦の使用
岡山城も豊臣大坂城で使われていた金箔瓦が見つかっています。画像は本丸「中の段」で発見された金箔瓦ですが、小早川もしくは池田時代の「中の段」増築時に破壊された宇喜多時代の建物にあった瓦と思われます。

岡山県古代吉備文化財センターより引用
共通点③ 河川を堀にした防衛ライン
岡山城は北・東・南について旭川を天然の堀とし、豊臣大坂城は北を淀川、東を猫間川を改修した東惣構堀を堀としています。


なお、旭川ですが、もともと城の東側を流れていた流路を宇喜多秀家が西側に付け替えることで、現在の形となりましたが、度々洪水が発生することになったため、江戸時代に旭川の放水路として百間川が整備されました。

国土交通省 「旭川流路の変遷」引用加筆
共通点④ 三段構成の本丸と天守の位置
岡山城と豊臣大坂城の本丸はどちらも小高い丘に築かれており、三段構成の縄張りとなっています。
岡山城は「上の段」「中の段」「下の段」で、豊臣大坂城は「詰ノ丸」「中之段帯曲輪」「下ノ段帯曲輪」ですが、どちらも最上段に天守と奥御殿を配置し、天守が北東にあることも共通点です。


宇喜多時代の縄張り
冒頭で記しましたが、岡山城は宇喜多秀家が築城したのちに、小早川秀秋、池田忠雄により大規模な改修がされています。
各曲輪毎に見ていきます。
本丸
岡山城の本丸は豊臣大坂城と同じく三段構成(上の段、中の段、下の段)で構成されています。
本丸には宇喜多時代の痕跡が多く残されていると考えられますが、宇喜多期の資料は乏しく、
不明点が多いのは豊臣大坂城と共通しています。
上の段
上の段は赤線で囲まれた範囲となり、天守と奥御殿があります。
豊臣大坂城との共通点としては櫓が少ない(干飯櫓、三階櫓)点があります。天守は宇喜多期のものですが、奥御殿は宇喜多期かそれ以降かは不明です。

上の段の石垣は宇喜多時代の野面積となり、最も高い場所で約15mと野面積ではもっとも高い部類に入ります。
上の段を取り囲む土塀はすべて白漆喰造りとなっていますが、宇喜多期は天守と同じ黒漆塗下見板と考えられますので、おそらく小早川期以降に作り直されたと考えられます。

上の段大手の「不明門」については、宇喜多期の石垣に積み足された石垣があり、小早川期もしくは池田期の遺構と考えられますが、宇喜多期にもこの位置に大手があったと考えられます。

中の段
中の段については、宇喜多期から拡張、かさ上げされていることが発掘調査から判明しています。
下図の青丸の箇所に宇喜多期の石垣が展示されています。宇喜多期の中の段の想定ラインは赤字の点線となります。
現在の中の段虎口である鉄門(小早川期の遺構と想定)は、入ってすぐに不明門にアクセスできるため、防衛上ありえない造りですが、これはもしかすると池田時代(江戸の泰平の世)の遺構なのかもしれません。

宇喜多期の中の段にある虎口については、上図の青丸(右上)付近で発見されています。石垣の高さは約10mありますが、そのうち上端部の3mが展示されています。この石垣の角度は鋭角に積まれており、大変珍しい構造となっています。

下の段
下の段については、南と西の石垣は宇喜多期(内下馬門の枡形は池田期)、旭川沿いの石垣は池田期の遺構であることが分かっています。

都心創生まちづくり構想(岡山市政策局事業政策課)に加筆引用
内堀の下の段側の石垣です。算木積みが不完全であることから、宇喜多期の石垣と想定されています。

二ノ丸
絵図や古記録にある岡山城は池田期(江戸時代)のもので、宇喜多期の縄張りは不明の状況です。
諸説ありますが、下図の三ノ曲輪までが宇喜多期の範囲と言われています。

都心創生まちづくり構想(岡山市政策局事業政策課)に加筆引用
しかし、上図の緑線の石垣(外下馬門付近)については、下の画像にある発掘調査の結果から池田期の石垣であることが判明しています。


榎馬場の下層遺構(岡山県教育委員会2003「岡山城二の丸跡」)から引用
上記の発掘調査地の南西から、宇喜多期の堀と思われる堀跡が見つかっています。この堀は石垣がない素掘りとなっており、宇喜多秀家の二ノ丸の堀か、もしくは秀家の父である宇喜多直家の城にあった堀なのか、詳細の調査が待たれます。

宇喜多期と池田期の堀(和田剛2020「岡山城の成立」より引用加筆)
三之曲輪以降
「三之曲輪」は宇喜多期の整備で、「三之曲輪の内」、「三之外曲輪の内」は小早川期、池田期の整備となっています。下図にある「外堀(二十日堀)」は、小早川秀秋が二十日間で完成させたと伝わる堀で、岡山城の外郭ラインはこの時に完成したと考えられています。

都心創生まちづくり構想(岡山市政策局事業政策課)より引用
岡山といえば、1837年(天保八年)創業で、江戸時代から作り続けられている伝統ある和菓子「大手まんぢゅう」が有名ですよね。
薄くて柔らかい皮の中にこしあんがたっぷり入っており、甘さ控えめの上品な味わいが特徴です。
岡山城の大手門前で売られていたことから、その名が付いたそうです。

株式会社大手饅頭伊部屋のホームページより引用
こちらの大手まんじゅうをふるさと納税でいただくことができます。私も岡山を訪れる際は必ず買って帰ります。皆様も是非ご賞味ください。
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