豊臣大坂城の全貌

豊臣大坂城

豊臣大坂城は徳川幕府に徹底的に破壊され、また埋め立て後に徳川大坂城が再建されたため見ることができません。
ここでは、豊臣大坂城に関する古記録(絵図、縄張図、配陣図)や屏風をご紹介します。

■縄張図
 ・大坂惣構(諸国古城図)
 ・大坂城慶長年間之図(金城見聞録)
■配陣図
 ・大坂冬の陣配陣図(僊台武鑑)
■縄張図(本丸)
 ・豊臣時代大坂城本丸図

■屏風
 ・大坂城図屏風
 ・豊臣期大坂図屏風
 ・大坂冬の陣図屏風
 ・大坂夏の陣図屏風

大坂惣構(諸国古城図)

諸国古城図(しょこくこじょうのず)は江戸時代前期の廃城を収録した絵図集です。
旧広島藩主浅野家に伝来した絵図集で、現在は広島市中央図書館に所蔵されています。
惣構を含む豊臣大坂城も収録されいます。

大坂惣構(中村博司「天下統一の城大坂城」に加筆)

大坂城慶長年間之図(金城見聞録)

金城見聞録は金城(大坂城)に関する構造や歴史を詳細に記録した古記録です。原本は不明ですが写本が各地の図書館に所蔵されています。江戸時代後期の資料となるため、別の資料を基に写した絵図の可能性が考えられます。
基本的な構造は上記の「諸国古城図」と共通していますが、各曲輪と屋敷の名称や千貫矢倉(櫓)の記載もあり、豊臣大坂城が知れる貴重な資料だと思います。

大坂城慶長年間之図 (島内洋二「秀吉の大坂城ー知られざる堀と防御施設」より引用)

大坂冬の陣配陣図(僊台武鑑)

大坂冬の陣に参戦した伊達家に伝わる絵図で、伊達政宗が布陣した南惣構付近の形状が正確であると言われています。
しかしながら、特に二ノ丸、三ノ丸の形状については「諸国古城図」や「金城見聞録」と異なっています。近年の発掘調査結果で信憑性が疑問視されている絵図です。

■他の絵図との相違点
①京橋口の馬出に堀がなく土塀のみ
 下で紹介する屏風にも堀はなく、また発掘調査で堀が検出されておらず正しいと考えています。
②玉造口とその馬出の形状
 玉造口の向きが異なっており、また発掘調査で馬出の堀が想定される場所から検出されておらず
 信憑性に疑問があると言われています。

大坂冬の陣配陣図(島内洋二「秀吉の大坂城ー知られざる堀と防御施設」より引用)

豊臣時代大坂城本丸図

豊臣大坂城天守の大工頭であった中井家に伝わる豊臣大坂城本丸の絵図です。近年の本絵図を基にした各種調査でその精度の高さが確認されており、堀幅や石垣の高さ、水堀の水面からの高さ等の記載もあります。
大坂冬の陣の前に大坂城に侵入した中井正清が記録し、徳川家康に提出した絵図ではないかと言われています。

豊臣時代大坂城本丸図(日本城郭協会公認 理文先生のお城がっこうより引用)

大坂城図屏風

作成時期は不明ですが、極楽橋が1600年に京都豊国神社に移築される前の姿が描かれています。天守閣には豊臣家の家紋「桐紋(五七の桐)」と天皇家の家紋「菊紋」が描かれており、天守閣の詳細がわかる貴重の資料です。
屏風下部に描かれる京橋口の馬出には堀がなく、上記「僊台武鑑」でご説明した土塀のみの造りであり、個人的に豊臣大坂城の正確な姿が描かれていると思います。

大坂城図屏風(部分)(大阪城天守閣(豊臣期大坂図屏風)より引用 )

豊臣期大坂図屏風

オーストリアのエッゲンベルグ城の室内の壁に描かれたものを屏風風に復元された絵図です。
(大阪関西万博のオーストリア館のカフェに複製があったみたいですが見れませんでした。。。)
煌びやかな極楽橋や千畳敷御殿、大手口や京橋口と馬出曲輪、玉造口、青屋口や千貫櫓など豊臣大坂城の特徴がよく描かれており、17世紀頃の作と言われていますが豊臣大坂城を知る人による作品だと思われます(本丸の壁が黒なのに、二ノ丸の門や壁が白なのが気になりますが)。

豊臣期大坂図屏風(部分)(大阪城天守閣(豊臣期大坂図屏風)より引用 )

大坂冬の陣図屏風

1614年の大坂冬の陣を描いた絵図です。豊臣大坂城本丸にある桜門の形状や水堀の食い込み等、正確に描かれています。
真田丸や惣構における戦闘様子も詳細に描かれおり、惣構には戦闘を想定して設置した柵や提灯も描かれています。
近年、千田嘉博先生と凸版印刷が協力してデジタル想定復元をした「大坂冬の陣図屏風」があるそうで、是非見てみたいと思っています。

大坂冬の陣図屏風(部分)(大阪城天守閣(豊臣期大坂図屏風)より引用)

大坂夏の陣図屏風

大坂夏の陣に徳川方として参戦した黒田長政(黒田官兵衛の息子)が戦勝記念として描かせたものとされています。豊臣大坂城本丸の縄張りは黒田官兵衛の設計とされており、その姿を記録しておきたかったとも言われています。
大坂冬の陣後の講和により二ノ丸以下が破却され本丸のみの姿ですが、2025年4月にオープンした豊臣石垣館に展示されている石垣に建っていた詰ノ丸の櫓(天守閣の右横)や千畳敷御殿、桜門も鮮やかに描かれています。
ちなみに、現在の大阪城の天守閣はこの屏風の天守閣がモデルになっています。

大坂夏の陣図屏風(部分)(大阪城天守閣(豊臣期大坂図屏風)より引用)

ここまで、豊臣大坂城に関する古記録(絵図、縄張図、配陣図)と屏風についてご紹介しました。
豊臣大坂城が知れる資料は数少ないですが、これからも新たな発見が出てくることを願ってやみません。
次回は豊臣大坂城の各曲輪の詳細を見ていきたいと思います

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