会津若松城(別名鶴ヶ城)は、秀吉の家臣である蒲生氏郷により文禄元年(1592年)から築かれました。
東北の要衝である会津に黒い外観の7層の天守が建てられ、また発掘調査では金箔瓦が見つかっており、間違いなく豊臣系の城郭です。
その後、加藤嘉明・明成により白い天守への建て替えや改修がされていますが、基本的な縄張りは蒲生時代から変更はされていません。
ちなみに、会津若松城との出会いは高校の修学旅行で当時の記憶はあまり残っていませんが、その後はたびたび訪問している好きな城です。
豊臣大坂城との類似点
会津若松城で購入した「会津若松市史」に会津若松城と豊臣大坂城の共通点が記されています。
この資料と現地調査した内容を基にご紹介します。

共通点① 本丸の形状
本丸の形状(赤線)が両城で酷似しています。ともに横矢掛りが設けられており、本丸から二ノ丸側への敵に効果的に攻撃できる造りとなっています。


会津若松城(上・左):会津若松市史4 城下町の誕生に加筆
豊臣大坂城(下・右):歴史群像名城シリーズ①大坂城に加筆
本丸から二ノ丸側を眺めましたが、かなりの高低差があるのが分かります。豊臣大坂城も本丸側は三段の石垣で構成されていたため、このような眺めだったのではないでしょうか。

今度は二ノ丸側からです。絵図の赤色の矢印からの眺めですが、ここは豊臣大坂城本丸の堀の形状と酷似しており、豊臣大坂城でもこのような眺めだったと妄想してしまいます。


共通点② 本丸の帯曲輪
両城と本丸内に帯曲輪が付随しています。そのため、御本丸(豊臣大坂城では詰ノ丸)を通ることなく兵の移動が可能となっています。会津若松城の帯曲輪は平坦ですが、豊臣大坂城は高低差があり複雑な構成となっています。


会津若松城(上・左):会津若松市史4 城下町の誕生に加筆
豊臣大坂城(下・右):歴史群像名城シリーズ①大坂城に加筆
本丸と帯曲輪を仕切る石垣です。石垣の高さはそれほどありませんが、石垣の上には走り長屋が建てられていたと思われます。

共通点③ 天守台
天守台は自然石の野面積みで、天守台が天守よりも大きく造られています。当時は天守台いっぱいに天守閣を建てる技術がなかったために犬走のようなスペースが設けられていますが、同時期に建てられた豊臣大坂城も同様であったと言われています。

共通点④ 天守台内部が二段構成
会津若松城の天守台は塩蔵と称されており二段構成となっており、豊臣大坂城と同様の形状でした。現存する二階の石蔵は会津若松城だけであり貴重な遺構です。

会津若松市史4 城下町の誕生より引用

歴史群像名城シリーズ①大坂城に加筆
共通点⑤ 山里丸
山里丸は秀吉の主要な城には必ず備えられており、茶室や庭園などが設けられていました。
蒲生氏郷が大坂城を手本にして築いた会津若松城にも山里丸がありました。会津若松城の山里丸は月見櫓、茶壷櫓に囲まれた一帯にあり茶室が備えられていました。
現在の山里丸には茶室麟閣が復元されており、その脇には天守閣を眺めながら優雅にお茶をいただける場所があります。


ここまで、会津若松城の豊臣大坂城の類似点を中心に見てきました。
特に本丸の縄張りについては豊臣大坂城と酷似する箇所があり、現在見ることができない豊臣大坂城の姿を想像することができる貴重な城だと思います。
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