ここまでは絵図や古記録から分かる豊臣大坂城の全貌と、現在明らかになっている豊臣大坂城の痕跡についてお伝えしてきました。
今回は豊臣大坂城の構造と、本丸、二ノ丸、三ノ丸、馬出の各曲輪の概要について見ていきます。
豊臣大坂城の構造について
豊臣大坂城の構造についてはさまざまな説があり定まっていませんが、このブログでは中村博司さんが提唱されている下図の構造(本丸、二ノ丸、三ノ丸、馬出)を基にしたいと思います。
中村博司「天下統一の城 大坂城」から引用
豊臣大坂城は、北は淀川、東西と南は惣構堀に囲まれた範囲で、東西約2km、南北約2kmの総面積は約400万㎡と言われています。
本丸と二ノ丸は徳川大坂城(現在の大坂城)とほぼ同じ位置にあります。京橋口、大手口、玉造口の各馬出と三ノ丸については徳川大坂城の再築時に利用されずに町屋として開放されました。
以降では豊臣大坂城の各曲輪の概要について見ていきます。
本丸について(第一期工事)
天正11年(1583年)に普請を開始して天正13年(1585年)に完成しています。
短期間で完成できたのは、ポルトガル人宣教師ルイス・フロイスの記録から「石山本願寺の石垣や堀をかなり利用した」ことによると考えられています。
縄張りの設計者は黒田官兵衛と言われており、現在の大坂城と違い、さまざまな曲輪を組みあわせた複雑な構造でした。
本丸の詳細についてはこちら
豊臣大坂城の本丸について
二ノ丸について(第二期工事)
天正14年(1586年)に普請を開始して天正16年(1588年)に完成しています。
普請総奉行は令和8年(2026年)のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟」の主人公の豊臣秀長で、毛利氏ら西国大名が動員され、約七万から八万が従事しました。
ルイス・フロイスの記録では、堀の幅は40畳(約78m)、石垣の高さは15~16畳(約30m)と現在の大坂城とほぼ一致します(野面積みで30mを積み上げるのは難しいと思われ、石垣の高さは誇張されていると思いますが、2段構成だったという説もあり、個人的には凄く興味があります)。
4つの虎口(大手口、京橋口、玉造口、青屋口)の位置や、堀の形状等も現在の大坂城と大きな違いはないと考えられています。
大坂冬の陣後の講和で、家康の謀略(さまざまな説がありますが私は謀略だと思います)により、徳川幕府が二ノ丸の堀を埋めましたが、徳川秀忠が家康宛に堀が広く深いため作業が難航していることを伝えています。堀を埋める土が足りず、櫓や塀、石垣を取り壊して投げ入れたみたいです。
二ノ丸の詳細についてはこちら
豊臣大坂城の二ノ丸について
三ノ丸について(第三期工事)
文禄3年(1594年)に普請を開始し、文禄5年(1596年)に完成しています。
北は淀川、東は猫間川を改修した東惣構堀、西は掘削した東横堀川の西惣構堀、南は自然谷を利用して掘削した空堀の南惣構堀で、大名屋敷と町屋を取り囲んでいます。
惣構については、天正18年(1590年)の小田原攻めで豊臣軍21万人が小田原城の惣構内に侵入することができず、秀吉がその有効性を認識したと言われており、以降、京の御土居(1591年)、大坂城(1594年~)や伏見城(1594年~)に構築しています。
なお、惣構の規模は以下となります。
・東惣構堀(過去の猫間川) :堀幅約10m ※猫間川は昭和57年(1982年)に暗渠化
・西惣構堀(現在の東横堀川):堀幅約20m
・南惣構堀(空堀):堀幅20m以上、深さ11m以上
大坂冬の陣後の講和で南惣構堀(空堀)を徳川幕府が埋めましたが、土塁を崩して5日程度で埋めたそうです。おそらく塀なども投げ入れていると思われます。
南惣構堀の発掘調査が行われていますが、投げ入れたと思われる塀などの残骸が見つかっているのか気になります。
三ノ丸の詳細についてはこちら
豊臣大坂城の三ノ丸について
馬出について(第四期工事)
慶長3年(1598年)に普請を開始、秀吉死後も続けられ、慶長5年(1600年)に完成しています。
馬出とは、城の出入り口である虎口の防御を強化するために、その外側に設けられた堀や土塁で囲まれた曲輪で、敵が虎口に集中することを防ぎ、城内からの攻撃を容易にする施設です。
馬出には「角馬出(方形またはコの字形)」と「丸馬出(半円形)」があり、大坂城虎口の馬出は角馬出です。
角馬出は、豊臣系城郭である伏見城、聚楽第、会津若松城でも見られます。ちなみに、大坂城の南惣構に築かれた真田丸は丸馬出で、主に武田氏の領国で多用された馬出です。
大坂冬の陣後の講和で、堀は埋められ、建物や塀は取り壊されました。徳川大坂城の再築時に利用されることはありませんでした。
馬出の詳細についてはこちら
豊臣大坂城の馬出について
ここまで、豊臣大坂城の構造と、各曲輪の概要について見てきました。
豊臣大坂城は一期から四期に渡って拡張されてきました。特に三期と四期については、文禄2年(1597年)に誕生した我が子豊臣秀頼を案じて大坂城を強化する普請で、豊臣大坂城は三国無双、難攻不落の日本一の城郭となりました。
次回からは各曲輪の詳細について、絵図や復元案等を基に確認していきます。
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