「豊臣兄弟!」の主人公・秀長が築いた和歌山城「現在の天守とは別の場所にあった!?」

和歌山城

和歌山城と言えば、青空に映える白亜の天守閣を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか?
令和8年(2026年)大河ドラマ「豊臣兄弟!」の主人公・豊臣秀長が築いた名城として知られ、
大天守と小天守が櫓で結ばれる連立式と野面積みの石垣がその象徴として語られています。

私も「本丸付近の石垣は秀長が築いた城だ」と思っていました。ところが、現地の「本丸御殿跡」にある案内板を読んで衝撃を受けました。
「秀長が築いたのは、今の天守がある場所ではない….!?」

和歌山城のある虎伏山はラクダの背のように東西に峰があります。天正13年(1585年)、羽柴秀吉の命で弟の秀長が先ず築城したのは、この山頂部分でした。
慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦い後に和歌山城主となった浅野幸長は、城の大規模な修築を行います。山頂部分では、西の高い峰に現在の形に近い黒板張りの天守閣を新たに築いて本丸とし、東の低い峰に御殿を建てて二ノ丸としました。

私は、現在の天守周りにある石垣を秀長が築き、関ケ原の戦い後に浅野幸長が改修したと理解していました。
しかしながら、秀長が築いた和歌山城の本丸は現在とは別の場所にあったのです。
今回は、現地で見つけた案内板の記述と、秀長が築いた「豊臣の痕跡」である野面積みの「緑泥片岩」の石垣を検証し、秀長の知られざる城造りの謎に迫ります。

和歌山城(和歌山県文化振興課)より加筆

本丸御殿跡

案内板にある記載のとおり、秀長が築城したのはこの一帯と考えられます。東西29間(約57m)、南北27間(約53m)の不等辺五角形となっています。普請奉行は藤堂高虎が務めました。
現在、和歌山市水道局の城内給水場があるため立入禁止となっています。本丸御殿跡周辺の石垣も見ることが難しいため、周辺から本丸御殿方面を撮影しました。

なお、本丸御殿跡の形状は、同じく藤堂高虎が築いた「赤木城(三重県)」の主郭の形状と酷似しています。
赤木城の主郭も不等辺の多角形ですが、藤堂高虎の中で何か法則があったのかもしれません。
以下は赤木城の縄張り図と石垣です。

 

虎伏像付近の石垣

秀長が築いた石垣には「鎬(しのぎ)積み」が見られます。鎬積みとは、石垣の角度が90度以上の鈍角で積まれているものを言います。
安土城や岡山城、会津若松城等の織豊系の城郭で見られ、豊臣大坂城の本丸にあった菱櫓(菱形の櫓)でも存在していたと考えられます。
和歌山城では、本丸御殿跡の北東にある虎伏像の付近に鎬積みの石垣があります。

 

七福の庭付近の二段の石垣

本丸御殿跡の南側にある「七福の庭」付近に、二段構成の石垣があります。豊臣時代は野面積みの高石垣を築くことが難しかったためと二段構成となった考えられます。
この二段構成の石垣は、秀長の居城であった大和郡山城の追手東隅櫓と東多聞の石垣を彷彿とさせられます。
また、豊臣大坂城の二ノ丸でも触れましたが、石垣が高さが約30m(ルイス・フロイスの記録)と言われていましたが、このような二段構成の石垣だったのかもしれません。

大和郡山城についてはこちら
「豊臣兄弟!」の主人公・秀長が築いた大和郡山城は「ミニ大坂城」だった!? ~その共通点を検証~

豊臣大坂城二ノ丸についてはこちら
豊臣大坂城の二ノ丸について | 豊臣家の痕跡


以上、秀長が築いたと考えられる和歌山城について見てきました。
現在の和歌山城は、浅野家、徳川家によって大規模な改修がされており、徳川御三家に相応しい城郭ですが、豊臣期の緑泥片岩を用いた美しい野面積みの石垣が広範囲に残っており、かなり見応えのある城郭です。
大河ドラマ「豊臣兄弟!」の放送が始まり、和歌山城にも多くの方が訪れるかと思いますが、天守閣や御廊下橋だけでなく、秀長が築いた豊臣期の石垣にも是非着目をいただきたいと思います。

和歌山城の近くのホテルについてですが、私は「スマイルホテル和歌山」をおすすめします。
ここはリーズナブルですが、客室からの和歌山城の眺めが最高です。
朝食会場からも和歌山城を眺めることができ、バイキング形式の朝食をいただきながら、優雅な時間を過ごすことができます。


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